時代のファッションリーダー
改訂版 マリー・アントワネットのクチュリエ ローザ・ベルダン
ロココファッションを創ったともいえますローザ・ベルダンは、繊維業の盛んな町、オーヴィルの軍人の娘として生まれました。 初めマドモアゼル・パジェル(Mlle Pagelle) という高級帽子屋で働きはじめます。 まだ見習い中にコンチ公妃に見いだされ、シャルトル公爵夫人が後ろ盾となりサント・レノにブティック 、ル・グラン・モゴール(boutique, Le Grand Mogol)がオープンすると、マドモアゼル・パジェルの上顧客も集まって大繁盛となります。 1772年、シャルトル公爵夫人の紹介で王太子妃となったマリー・アントワネットと出会い、のちに王妃マリー・アントワネットのマルシャンド・ド・モード、(専属のクチュリエ)となります。 きっと上昇志向の強いやり手だったのでしょうね。 1774年マリー・アントワネットは王妃となり、そのドレスもベルタンがデザインしました。 そしてそれは王妃が廃位するまで続きました。 第3身分でありながら毎日のように見本帳をもってヴェルサイユにやってきて、時には王妃の私室で半日以上も二人きりで新しい流行のドレスやヘアスタイルを考えたりもしました。 自分の作ったドレスは女官長の手を通さず直接アントワネットに届け、請求書もアントワネットに直接届けましたので誰もどんなドレスをいくらで作ったのか、その内容を調べることができませんでした。 一着のドレスに、百二十万フランもの請求されたこともあったといわれています。 したたかな商売人だったのでしょう。 アントワネットは湯水のごとくドレスに国費を使って国を傾けたといわれていますがそのかなりの割合をこのベルダンが手にしていたのは間違いありませんね。 アントワネット以外の貴婦人にも同様に高額な請求をしたそうですが、王妃に近いベルダンに逆らうことができずに金銭的に追いつめられたり破産する貴族も多く、恨みはアントワネットに向けられフランス革命をあおることになります。 贅沢な素材や職人の手間ひまをかけたそれまでに無かった贅沢で華麗なモードを創造し、ロココファッションを作り上げます。 ローズ・ベルタンと髪結師レオナールで創りだされたのが、パッドとポマードで高く結い上げた「パフ(pouf)」というロココのシンボルともいえるヘアスタイルです。 パフのマリー・アントワネット 1770年代の飾り立てた大きな髪型は高さと奇抜さを競うようになります。 高さは最高3フィート(約100センチ)の船の模型を乗せたものは有名ですが、これはイギリス海軍に勝利したフランスのオマージュだというお話があります。 大きくなった髪型の為、貴婦人たちは膝をつかないと馬車に乗ることもできなかったそうです。 1775年には髪と体の真ん中に顔がある程に大きくなりました。 ローブ、ジュップ(ペチコート=スカート)をはき、パニエを当て、胸当てのピエス・デストマ(ストマッカー)やコルセットを身に着けパフに髪を結い上げるのですから、ロココファッションには相当な人手と時間がかかったことでしょうね。 当時の貴婦人の仕事は恋愛とファッションと社交ですから仕方のないことです。 ドレスは彼女たちの武器だったのですから。...
改訂版 マリー・アントワネットのクチュリエ ローザ・ベルダン
ロココファッションを創ったともいえますローザ・ベルダンは、繊維業の盛んな町、オーヴィルの軍人の娘として生まれました。 初めマドモアゼル・パジェル(Mlle Pagelle) という高級帽子屋で働きはじめます。 まだ見習い中にコンチ公妃に見いだされ、シャルトル公爵夫人が後ろ盾となりサント・レノにブティック 、ル・グラン・モゴール(boutique, Le Grand Mogol)がオープンすると、マドモアゼル・パジェルの上顧客も集まって大繁盛となります。 1772年、シャルトル公爵夫人の紹介で王太子妃となったマリー・アントワネットと出会い、のちに王妃マリー・アントワネットのマルシャンド・ド・モード、(専属のクチュリエ)となります。 きっと上昇志向の強いやり手だったのでしょうね。 1774年マリー・アントワネットは王妃となり、そのドレスもベルタンがデザインしました。 そしてそれは王妃が廃位するまで続きました。 第3身分でありながら毎日のように見本帳をもってヴェルサイユにやってきて、時には王妃の私室で半日以上も二人きりで新しい流行のドレスやヘアスタイルを考えたりもしました。 自分の作ったドレスは女官長の手を通さず直接アントワネットに届け、請求書もアントワネットに直接届けましたので誰もどんなドレスをいくらで作ったのか、その内容を調べることができませんでした。 一着のドレスに、百二十万フランもの請求されたこともあったといわれています。 したたかな商売人だったのでしょう。 アントワネットは湯水のごとくドレスに国費を使って国を傾けたといわれていますがそのかなりの割合をこのベルダンが手にしていたのは間違いありませんね。 アントワネット以外の貴婦人にも同様に高額な請求をしたそうですが、王妃に近いベルダンに逆らうことができずに金銭的に追いつめられたり破産する貴族も多く、恨みはアントワネットに向けられフランス革命をあおることになります。 贅沢な素材や職人の手間ひまをかけたそれまでに無かった贅沢で華麗なモードを創造し、ロココファッションを作り上げます。 ローズ・ベルタンと髪結師レオナールで創りだされたのが、パッドとポマードで高く結い上げた「パフ(pouf)」というロココのシンボルともいえるヘアスタイルです。 パフのマリー・アントワネット 1770年代の飾り立てた大きな髪型は高さと奇抜さを競うようになります。 高さは最高3フィート(約100センチ)の船の模型を乗せたものは有名ですが、これはイギリス海軍に勝利したフランスのオマージュだというお話があります。 大きくなった髪型の為、貴婦人たちは膝をつかないと馬車に乗ることもできなかったそうです。 1775年には髪と体の真ん中に顔がある程に大きくなりました。 ローブ、ジュップ(ペチコート=スカート)をはき、パニエを当て、胸当てのピエス・デストマ(ストマッカー)やコルセットを身に着けパフに髪を結い上げるのですから、ロココファッションには相当な人手と時間がかかったことでしょうね。 当時の貴婦人の仕事は恋愛とファッションと社交ですから仕方のないことです。 ドレスは彼女たちの武器だったのですから。...