ジョゼフィーヌのクチュリエ ルイ・イボリット・ルロワ

ルイ・イボリット・ルロワ(1763~1829) はローザ・ベルダンマリー・アントワネットに近づきファッション界の女王にのし上がったように、ナポレオン妃ジョゼフィーヌに近づきファッション界を牛耳った人物です。

オペラ座の道具係の息子として生まれ、若い頃は結髪師を目指しますが後に婦人服の製作の道に入り独立しリシュリュー街(当時一番のファッション街)にブティックをだします。

その頃はちょうど革命期にあたりましたが、革命ファッションが気に入らず王朝風の服で通したそうです。

革命のただ中、世の中が神経質になっているこの時期にそんな格好をすることは殺されてもおかしくないことですから随分肝のすわった人物です。

いよいよ国民公会に呼び出されてしまい、服装を改めるように勧告を受けてしまいます。

絶対的な力を持った国民公会に逆らえばギロチンさえ考えられます。

そこで彼が考えだしたのが愛国ファッションでした。

新国旗の3色を基調とし、縁取りには『自由・平等・連帯』、ベルトには『自由か、死か』といったフレーズが縫い込まれた物です。

これが大好評となり、彼のキャリアの始まりとなります。

1794年、ロベスピエールがギロチンにかけられ革命後の恐怖政治が終わりを告げます。

息苦しい世風が一気に開放的なものになります。

革命期に生まれた新支配階級の婦人たちは革命前の支配階級の婦人と同じく流行を競い合うようになります。

さて、当時の支配階級にはロンシャン詣(※1)でというものがありました。

新支配階級の婦人たちのファッションを競い合う場としてロンシャンが舞台となったのです。

他にも観劇・サロンでの社交などがファッションの場となりましたが毛九名前と同じように新しい支配階級でもこれらが使われ同じ機能を果たしました。

舞台が整い、ファッションは競われ、次第に大胆になってゆきます。

しかし革命前のファッションには戻りたくありません。

そこで登場しましたのが『新古代風』と呼ばれるギリシャ・ローマ風のものです。

それまでの華美な色彩はなりを潜め淡い色がはやり、過剰な装飾は廃し、コルセットを外し、ハイウエストでドレープのあるストレートなドレスは女性の体の線を自然に見せることができ、動きやすく、苦しくないものでした。

それは時代の民主化・解放的・進歩的という風潮とマッチしたものでした。 ルロワはこの流れにのりエジプトの土の色、ギリシャの大理石の色を取り入れこのモードに刺繍や宝石をちりばめスタイルを確立してゆきます。

革命で亡命していた貴族たちがパリに戻ってくるようになると新しい社交界に生きたマネキンとして共同経営者のボノー婦人に自分のニューモードを着せて社交の場で宣伝させるなどの戦略もうっています。

ナポレオンの未来を予見するかのように小間使いや家令を買収してジョゼフィーヌに接近し御用達となります。

先見の明があるというか、やり手です。

ナポレオンの戴冠の時のジョゼフィーヌの衣装はルロワの手になるものです。

馬に乗ったナポレオンのアルプス越えで有名なダヴィッドの絵にありますね。

david2.jpg 

ワイドビジョンで左右にもっと描かれていますがカットしました。

davi.jpg 

ナポレオン自らジョゼフィーヌに戴冠したというあの話です。

実は全体の調整役として任じられたダヴィッドに決定権があり、ダヴィッドは弟子のイザベイに衣装を任せます。

そこでルロワはジョゼフィーヌを動かし衣装製作の権利を獲得しイザベイの直線的な堅いデザインから優美でエレガントな衣装を作りだしたのだそうです。

なかなかの戦略家といえますが、他のモード商人と違うルロワの一番の武器は本人が持つ高い裁断技術にあります。

即興でゼフィーヌの目の前でカシミアにハサミを入れ見事なショールを作ったという話があります。

それまで婦人の衣装の裁断・縫製は女性の仕事でしたがその指導的な立場となります。

さて、ジョゼフィーヌの戴冠の衣装は第一帝政時代のスタイルとして広まってゆき、エンパイヤスタイルとして確立してゆきます。

エンパイヤスタイルの変遷の中で1804年以前のもの私意ものとは違った軽くて短い胴着が復活し、やがてこれがコルセットの復活につながります。

戴冠の衣装のおかげでルロワの名は世界的なものとなり、ヨーロッパ中のそうそうたる身分の人たちから注文が殺到するようになります。

ナポレオンの殖産としての繊維産業にもあおられ国産の製品にこだわる一方で、ジョゼフィーヌが離婚されると新皇后マリー・ルイズのクチュリエとなり、ナポレオンが失脚すると復活したブルボン家の宮廷付きとなるなど戦争と激動の時代の中で顧客を取り替えることで生き残った人でした。

また、下着からジュエリー、小物から香水までと総合的なモードの礎を築き、それは現代のファッションブランドに連なるものでもあります。

ブローニューの森はパリ西部にある広大な森林地帯でした。

代々王家の狩猟の場とされてロンシャン大修道院があるのみのひっそりとした森でした。

それがルイ14世の頃、戦艦製造のため大規模な開拓が行われ、放射線状の散歩道を持つ庭園となりました。

パリに住む貴族たちにとってロンシャンにいくには馬車が必要で、それはひとつのステイタスでもあり、また修道院に行くという名目もあり貴族の社交の場、ファッションを披露するステージともなったのです。

18世紀後半にピークを迎え、革命で一旦は廃れますが恐怖政治の終焉とともに復活し、ナポレオン3世のパリ大改造によって終わりを告げます。

同じ役割を担ったチュルリー公園・リュクサンブール公園もありますが、とりわけ自然に恵まれたロンシャンは特別な意味があったようです。

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