皇帝ナポレオン妃 ジョゼフィーヌ

ナポレオンはフランスの繊維産業としてのファッション産業の振興に熱心で『リヨンをヨーロッパの絹市場とするべし』と勅令を出した程です。

帝政が発足するとただちに宮廷サロンを復活させ、チュイルリ宮のサロンはマリー・アントワネットを凌ぐとさえゆわれる華やかなものでした。

当時の生地も薄く飾りも少なく、スタイルも停滞していた衣装の変化を求め、冬の寒さの中暖炉の火を落とさせたという話も有名です。

それでも寒さに震えながら薄いモスリンのドレスを着て、中には風邪をひいて亡くなったご夫人もいたとか。 女性の執念を感じますね。

1806年大陸封鎖例を発布してイギリスと国交を閉ざしますが、一つに産業革命で機械化したイギリスに対抗する為のものでもあったとか。

フランスの繊維業界を保護し機械化を進めるものという側面もありました。

実際この期間にルーヴェイとセダンの綿織物、サンタンクァンの麻とモスリン、バレンシアの白い麻の上布、レースなどの機械化が始められています。

そのナポレオンの初めの奥さんでしたジョゼフィーヌは戴冠式の絵で有名です。

一般的にナポレオンの奥さんというとほとんどのかたがマリア・ルイーズではなくジョゼフィーヌが浮かぶのではないでしょうか。

ルイ・イボリット・ルロア等によって創造されたエンパイアスタイルの女王ともいえるファッションリーダーでもありました。

さて、ジョゼフィーヌとはどういう人だったのでしょう。

祖父の代から母国を離れたクレオール(※1)の出身で、マルタレースで有名なフランス領西インド諸島マルティニーク島の生まれです。

結婚前の正式名は、マリー・ジョゼフ・ローズ・タシェ・ド・ラ・パジュリ(Marie Jos?phe Rose Tascher de la Pagerie)でした。

生家は貴族といっても名ばかりでエキゾチックな美貌の持ち主でしたが大変な浪費家でもありました。

1779年にアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚し、一男ウジェーヌ・一女オルタンスをなします。

当初から夫婦仲が悪く、4年後の1783年に離婚しました。

離婚後にマルティニーク島の実家に戻っていたましたが島での暴動の多発に不安を感じてフランスに戻ります。

フランス革命のただ中で、元夫や友人の助命嘆願をしますが当局にこれを罪に問われてカルム監獄に投獄されてしまいます。

獄中では、ルイ=ラザール・オッシュ将軍の恋人となったという話もあります。
元夫のボアルネ子爵はギロチンで処刑されていますが、ジョゼフィーヌはロベスピエールが処刑されたことにより8月3日に釈放されました。

その後、総裁政府のポール・バラスの愛人となり、親友のテレーズ・カバリュス、ジュリエット・レカミエと並ぶ社交界の花形となって、「陽気な未亡人」と呼ばれました。

このころ、年下のナポレオンの求婚を受け1796年に結婚していますが、バラスが彼女に飽きてナポレオンに押しつけたという話もあります。

このときナポレオンは26歳、ジョゼフィーヌは32歳でしたが夫は2歳年上に、妻は4歳年下にさばをよみ、同い年の28歳として結婚証明書を提出しています。

ジョゼフィーヌとはナポレオンが結婚後に付けた呼び名で、バラ好きの彼女はそれまではローズという呼び名で呼ばれていました。

マリー・アントワネットがうかびますね。

この結婚について、息子のウジェーヌは反対、娘のオルタンスは賛成だったと伝えられています。

ジョゼフィーヌはナポレオンを無骨でつまらない男と見ており、次々と愛人を作っては浮気を繰り返したそうで、ナポレオンの母や兄弟姉妹たちとの折り合いは悪かったそうです。

イタリア遠征中にナポレオンが彼女にあてた熱烈な恋文は有名ですが、彼女はろくに読むことも返事を書くこともなく、その手紙を友人に見せて笑いものにしていたそうです。

ナポレオンはジョゼフィーヌに何度も戦場へ来るよう頼みましたが、その都度のそっけない態度にしばしば絶望的な心情になっていたそうです。
前線の指導官の士気に気を揉んだ総裁政府の命令で、彼女は渋々イタリアへ向かいます。

このイタリア遠征時からジョゼフィーヌは「勝利の女神」と呼ばれるようになり、験のいい存在としてあがめられるようになりました。

1798年のエジプト遠征中にカシミアのショールをジョゼフィーヌに贈りその後大流行となります。

テルノーではカシミアの機械織りの会社が作られています。

しかしこのエジプト遠征中にジョゼフィーヌと美男の騎兵大尉イポリット・シャルルとの浮気を知ったナポレオンはフランスにそのことを嘆く手紙を送りますが、この手紙を載せたフランス艦がイギリスに拿捕され手紙の内容が新聞に掲載されてしまいます。

さすがにこの時はナポレオンも離婚を決意し、家から妻の荷物を叩き出してしまいます。

このときは彼女の連れ子のウジェーヌとオルタンスの涙ながらの嘆願に離婚は思い止まります。

この直後のブリュメールのクーデタの際には要人対策に広い人脈があったジョゼフィーヌも一役買って、ナポレオンのクーデタを成功に導くため役に立っています。

ジョゼフィーヌは、初めの離婚騒動あたりから徐々にナポレオンを真摯に愛するようになっていきますが、ナポレオンのジョゼフィーヌに対する熱烈な愛情は逆に冷めていき、他の女性達に関心を持つようになっていきました。

ナポレオンは手に入らない物、逃げる物を追うのが好きなのでしょうね。

ナポレオンの戴冠式で皇帝となったナポレオンから皇后冠を授けられるジョゼフィーヌ 1804年12月、ナポレオンが「フランス人の皇帝陛下」として即位すると、ジョゼフィーヌにも「フランス人の皇后陛下」の称号が与えられます。

その後ナポレオンは、妹のカロリーヌから紹介されたエレオノール・ドニュエルやポーランドの愛人マリア・ヴァレフスカとの間に男児が生まれた事などもあり、1810年1月ついに嫡子が生まれないことを理由にジョゼフィーヌを離縁しました。

浪費や男癖など困った部分もありましたが飾らない朗らかな人柄は将兵たちや国民の人気も高く、惜しまれての離婚でした。

この求心力と人脈作りのうまさがマリー・アントワネットと明暗を分けるところですね。

公人として離婚式という式典まで行われたそうですが、ここでのジョゼフィーヌは娘のオルタンスが支えなければ歩けないほどショックを受けた様子だったそうです。

それ以後はパリ郊外のマルメゾン城で余生を送りましたが多額の年金を支給され、死ぬまで「ナヴァル女公皇后殿下」という「皇后」の称号を保持することを許されていました。

マルメゾン城のナポレオンの居室は、ジョゼフィーヌの手によってこの部屋のものを「聖遺物」と称し、皇帝が去ったままの状態で保たれたそうです。

離婚後もナポレオンとはよき話相手であり、ナポレオンの後妻マリア・ルイーザが嫉妬するほどだったともいわれています。

ジョゼフィーヌのエレガントさは無いとマリア・ルイーザはファッションをリードすることはありませんでしたが、そのジョゼフィーヌのエレガンタな仕草の一つの口を隠す仕草は虫歯が酷くそれを隠す為だったそうです。

ナポレオンがエルバ島に流された後、、最も親身に援助していたのは他ならぬジョセフィーヌであったそうです。

ナポレオンの退位後は気落ちしがちで、彼が百日天下でパリに帰還するのを待たずに肺炎になって急死してしまいます。

ジョゼフィーヌの最後の言葉は「ボナパルト、ローマ王、エルバ島…」で、ナポレオンが配流先のセントヘレナ島での最期の言葉は「フランス、陸軍、陸軍総帥、ジョゼフィーヌ…」だったそうです。

他人には判らない運命的な深いつながりがあったように思えます。

ジョゼフィーヌが前夫ボアルネ子爵との間にもうけた娘オルタンスは、ナポレオンの弟ルイと結婚してオランダ王妃となり、後に皇帝ナポレオン3世となるルイ=ナポレオンら3人の男子を生んでいます。

1810年にオルタンスはルイ・ボナパルトと離婚し、三男のルイ=ナポレオンはオルタンスが引き取って育てました。

息子ウジェーヌはナポレオンの養子となり、イタリア副王にまで出世した。

その後バイエルン王マクシミリアン1世の娘アウグステ王女と結婚し、その長女のジョゼフィーヌはスウェーデン王オスカル1世の王妃となりました。

こうして大まかにこの方の生涯を追うだけで奔放なひとりの女性の変節と時代を垣間みることができますね。

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さて、このブレスレットは下腸されたものなのでしょうジョゼフィーヌの肖像を描かれたものです。

今と違い量産されたものではありませんので大変希少なものです。

絵の見事さもさること、カンティーユの複雑なチェーンの仕事、見事です。

勲章のように特別な意味合いのあったものではないでしょうか。

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