ルイ16世妃マリー・アントワネット その2 首飾り事件

その1より

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復刻された首飾り 宮廷御用達宝石商として、マリー・アントワネットに宝石を売っていた宝石工・バッサンジュとベーマーという男がいました。

ベーマーはルイ15世の寵姫デュ・バリー夫人が買ってくれることを当てにして、1774年頃、豪華な首飾りの製作を始めていました。

ベーマーが八方手を尽くして探し求めたダイヤが540粒も使われていて、それをバッサンジュが丹念に研磨して細工を施したものです。

しかし、デュ・バリー夫人はルイ15世が亡くなったために没落してしまいます。
ほぼ完成していて、現在の金額で数十億円という首飾りを買えるのは、マリー・アントワネットしかいないと考えます。

1785年2月、この首飾りを作るために莫大な借金をしていたバーマーのもとにロアン枢機卿(※1)から王妃が首飾りを購入してくれるとの朗報が届きます。

屋敷を訪れたベーマーとバッサンジュにロアンは王妃が首飾りを買い上げるとする書類を見せました。

王妃が署名するときは、洗礼名しか書かないことは誰もが知ることだったのですが『マリー・アントワネット・ド・フランス』と署名されていました。

首飾りの支払いは4回に分けて支払われることになり、ベーマーとバッサンジュは首飾りをロアン枢機卿に手渡します。

1回目の支払い日に、ベーマーがアントワネット妃側近のカンパン夫人に首飾りの代金を請求すると、『王妃は首飾りを受け取ってはいません。』という返事が返ってきます。

ロアン枢機卿という人物はなんとかマリー・アントワネットに取り入ろうとしていましたが、かつてウィーンの宮廷でマリア・テレジアの不興を買ってしまい、アントワネットにも嫌われていた人物でした。

マリー・アントワネットは激怒して、「自分が嫌っているロアン枢機卿から宝石など買うわけがない、事件の首謀者はロアンで自分の名前をかたって宝石を騙し取ったに違いない』とルイ16世に訴え、ロアンは宮廷の鏡の間で逮捕され裁判にかけられることになりました。

事件の中心人物が、王妃と枢機卿とという大スキャンダルにフランス中が沸きあがります。

そしてここでもアントワネットは賄賂として首飾りを枢機卿に贈らせたとか、宝石を売りさばいたお金をオーストリアに送っていたといった世間の悪意のある風評の的にされます。

ロアン枢機卿の一族は独自に調査を行い、自称ラ・モット伯爵婦人(※2)が首謀者であるということをつきとめ関係者が逮捕されました。

宝石商が王妃に首飾りを売りたがっているのを知ったラ・モット伯爵夫人は、自分の身分をもっと出世させたいと企み、ロアン枢機卿に王妃の欲しがっている首飾りを献上すれば会ってもらえると話を持ちかけます。

更には、王妃を語った偽の手紙を渡します。

『これまでのことは水に流しましょう』とする内容のもので、偽の手紙は200通以上2人の間で交わされたともいわれています。

ロアンは手紙だけでは物足りなくなり、直接王妃と会いたいと言い出します。

そこでラ・モット伯爵夫人は、マリー・アントワネットによく似た娼婦を用意し、月明かりの木陰の下で殆ど言葉も交わさない接見を果たしました。

ラ・モット婦人とはあの手この手の確信犯だったのです。

ロアン枢機卿はルイ16世に事後承認させることにし、(充分越権行為ですし、結果に責任があると思うのですが・・。)ラ・モット伯爵夫人の用意した偽の首飾りを購入する旨の書類を用意し、ロアンから宝石商へと書類が渡り、首飾りは宝石商からロアンへ、ロアンからラ・モット伯爵夫人へと渡りました。。

そして首飾りはラ・モット伯爵夫人によりバラバラにされてフランスやイギリス各地に売りさばかれてしまいます。

今に残されていれば歴史的文化遺産となりえたのにもったいないですね。

裁判の結果、ロアンは無罪となります。

民衆からは『万歳』の声があがるなかマリー・アントワネットは悔しさで泣き崩れたそうです。

この判決にも背景があり、パリ高等法院は政治的に宮廷と対立していたので王妃にとって都合の悪い判決を下したのでした。

結果を不服としたルイ16世は裁判官を解雇しロアンを修道院に隠居させてしまいます。

このことで民衆はもとより、貴族からの王家の支持も失うことになります。

捕らえられたラ・モット伯爵夫人は、泥棒の頭文字であるVのマークを両肩に烙印され監獄に送らますが協力者のもとに脱獄し、ロンドンに亡命して回想録を何冊も出しました。

その内容は、自分は被害者である、事件の責任は全てマリー・アントワネットにあるとしたものでした。 体制への不満から犯罪者がヒーローとなることはよくあることですね。

この本により人々は伯爵夫人に同情的になり、益々マリー・アントワネットへの批判は高まっていきました。

その3に続く

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さて、なかなか観る機会の無いロココのネックレスですが、エタラージュのロココのダイヤモンドネックレス、機会がありましたら実物をご覧くださいね。
※1 ロアン枢機卿 ロアン家というのは枢機卿となった人物は大勢いるフランスの一大名門でした。

宮廷司祭長の地位にあったロアン枢機卿は聖職者でありながら大変な放蕩ぶりでも知られていたためマリア・テレジアに嫌われていて、それを知っていたマリー・アントワネットにも嫌われていました。

しかし枢機卿はいつか王妃に取り入って宰相に出世する事を望んでいました。

※2 ラモット伯爵夫人  父方はアンリ2世の庶子の家系で、貧しい中9歳で両親を喪います。

少女時代、貴族としての教養を身につけるためロンシャン修道院の寄宿女学校に入学しますが、22歳の時修道女になる事を嫌って逃亡します。

1780年、ニコラ・ド・ラ・モット伯爵と知り合い結婚します。

士官で伯爵を名乗っていたが、本当に貴族であったかどうかは疑わしいとされています。

1786年、首飾り事件を起こし、裁判でジャンヌは有罪となります。

監獄で鞭打ちの刑を受けた後、両肩に「V」の焼き鏝(「泥棒」を意味する「Voleuse」(女性形)の頭文字「V」)を捺された後、サルペトリエール監獄での終身禁錮刑となります。

しかし協力者によりイギリスへと脱走しました。

1791年、精神錯乱の発作により窓から転落したとも、強盗に襲われたために窓から転落したとて死んだともいわれています。

35歳没。

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