『朦朧体(もうろうたい)』というスタイル

20世紀のヨーロッパの絵画流行の中で日本でいうところの朦朧体と命名されたようなスタイルがあったかどうかは判りませんが、近いものとしてモネ、スーラ、シャバンヌ達が代表的なのでしょうね。
ちょうど同じ頃音楽の世界でドビッシーが朦朧体というあまり肯定的でない呼ばれかたをされていました。
ドビッシーは音楽における象徴派というか、大変な文学青年で文学と音楽の融合を目指していました。
当時の最も衒学的で難解な、詩人マラルメの有名な集まり「木曜会」の常連で、1986年に書かれた詩『牧神」にインスパイアされて1894年に作曲されたのが『牧神の午後のための序曲』です。
マラルメ自身はドビュッシーのこの作品には否定的だったようですけどね。
そしてパリ、シャトレ座で1913年デイアギエフ、バレーリユス公演の第3回目において伝説的なバレーダンサー、ニジンスキーの振り付け主演で初演されました。
デイアギレフはニジンスキーが去った後もその時どきの愛人、マシーン、リファールなどを連れて美術館回りをしたそうですが、この時も始めて振り付けをするニジンスキーと一緒にイタリアの沢山の美術館巡りをして、ギリシャの赤絵式、黒絵式と呼ばれる壷に描かれた絵画から影響を受けて牧神と女性達の動きを作り出したそうです。
ニジンスキーの振りつけた作品は彼の悲劇的な生涯、精神障害の為にきわめて少ないのですが、当時天才的な振付家といわれたフォーキンの沢山の作品のうち、現在上演されるものが『バラの精」「ペトルーシュカ」「瀕死の白鳥』の3作品だけだと考えますと、その短い期間に作られた4作品のうち『牧神』『春の祭典』『遊戯」の3作品が「いまだに100年前の作品と思えない現代性を保つているというには本当に驚きです。
『8年ほど前、ロンドンのコベントガーデンのオペラハウスのデイアギレフプロで珍しく「遊戯」を観る機会がありました。
3人の男性同士の愛の関係性を,2人の女性と1人の男性に置き換えてありますが、ニジンスキーの手記のなかでは自分とデイアギレフとニジンスキーの最初の愛人の貴族との3角関係をバレー化したとの記述があります。
軽いタッチのバレーで、アールデコ期のテニスウェア姿男女3人がみえないボールを打ちあったり、あまりバレーらしい華やかな振り付けもされていないのですが、透明感の漂う繊細で不思議な魅力のあるこのバレーが100年近く前に作られたとは到底思えない現代人の複雑な関係性を表現していて、フォーサイスの「インザミドル」の世界を100年前に先取りしているように思えました。
最近二十歳頃に読んだ「ニジンスキーの手記』の完全版が出版されたと知って読んでみたのですが、かなり精神障害の徴候が進んで来ているようにみえるところを差しひいて読んでも,その語彙の10歳児のようなたどたどしさには驚かされました。
しかし知性といわれているものとは一体なんなのでしょうか。
偉大なダンサーにして!00年後に古びない作品を残せたのはまぎれもない天の与えた才能です。
ニューヨークシテイバレーのジョージ、バランチンもシュツッツガルトバレーのクランコも、ベジャールもダンサーとしてニジンスキーに比べられる存在のはずはありません。
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ところでこの珍しいリモージュエナメルのブローチは,19世紀後期のはっきりとしたタッチから,絵画の影響を受けてわざと流れる様なまさしく朦朧体の影響を受けたリモージュエナメルの歴史の中でもきわめて特異な作風の作品です。
そしてモチーフがまたそのものズバリの牧神とミューズです。
ひょっとしてニジンスキー贔屓の貴婦人がオーダーで作らせたのかもと妄想が膨らみます。
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